ぱなっちの窓

何故にえげれす

日本にいたときに国際貢献にあこがれていたのは、一つは雅子様の影響。そう、皇太子妃雅子様。中学生の頃までお勉強のとっても良くできた私は、将来の夢として外交官というものも浮上していた。(壮大すぎる。)英語はビートルズから学んでいたので、非常に上手だった。県内トップの女子高に進学後、ぱったりと勉強をやめてしまい、というか、そんなにおりこうでなかったことに気付き、そんな夢もどこへやらバンド活動に専念。それでもその後の進学は、なんとなく将来を見据えて社会学部にしておいた。
一年のイギリス生活から帰り、地元の会社で少々居心地の悪い生活をしていた私、そこへ元外交官のプリンセスの登場である。そんな経歴のプリンセスなんて、どこの国にもいない。さすがは我らがプリンス・ヒーロ、すんばらしいお妃を選んだもんだ。双子の妹の一人は国連高等難民弁務官だという。ふやけていた私も、さすがに昔の夢を思い出した。この馴染めない日本社会で暮らすよりは、というよりも、やっぱり世界を舞台にして生きたいと、またも壮大な思い込みをすることになる。幸いにも国連職員に応募出来る最低要件である、社会・経済分野での学士号(でも修士以上が望ましいって書いてあった)も持っている。(文学・語学系の学士は不可なのよ。)仕事場はやっぱりアフリカか中近東かと視野はそっちへ向けられた。英語は当然ながらその他数カ国の言語が出来て当たり前の世界である。片言の英語なんてのは問題外。ブラッシュ・アップの日々が始まる。

そんなある日「そろそろイギリスへ戻るころだよ。」との啓示を受ける。読んでいた雑誌に載っていた国際交流プログラム(現在このプログラムはありません)がたまたま目についた。そこへ、London時代の友人から手紙が届く。なんと、彼女はそのプログラムでLondonで働き、その後ダブリンにいるという。これも何かの縁かと、そのプログラムに応募したら、あっさり合格。方向性が違いすぎるだろうとの気もしたが、人生無駄なことは何もないともいうし、と自分をすんなり納得させた。
最初に決まった企業が某石油会社だった。所在地はもちろんLondon。プロジェクトの仕様書も届き、一年間のトレーニング後はシンガポールでのポストも約束されていた。が、事情により、そのプロジェクトが中止となってしまった。がっくりする間もなく、現在働いている会社が拾ってくれた。仕事内容も所在地も馴染みのない世界でものすごく不安だった。時を同じくして、通信社時代の同僚のご主人の転勤先が決まった。中近東と噂されていたが、ベルギーとなった。近くに友達もいる、あっちで会おうね、とえいっと渡英することにした。 

忘れもしません、1月5日、どんよりとしたヒースロー空港にたった一人で到着。寒いし雨ばっかりだし、残してきた猫達を思い出しては、泣いてばっかりいた。研修後ここMaidenheadに来たのは週末で、街はゴースト・タウン。食べるものもない。ヒースローに近いので低空飛行する飛行機のお腹を見上げては、なんでこんなところまで来ちゃったんだろうと、ため息ばっかり。
1月11日、初出社。奴に出会う。「あ、なるほど。私はこの子に出会うために遥々ここまでやって来たんだ。」と、納得。やっと探していたものに出会ったかのような気がした。「この出会いは産まれるずっと前から決められていたこと。」と熱く語ったのは、奴。私は奴の1.7倍年上だった。
そしてミレニアム・ベイビー誕生。こういう思い付きだけで回っている人生もちょっといい。




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